ノスタルジア

私は20世紀も終わりのころ、東急田園都市線沿いのニュータウンに生まれた。

 

川崎のはずれにある、急行のとまらない小さな町だ。

 

私の住んでいた家はマンションの最上階で、広いルーフバルコニーが付いていた。

 

ちょうど家が建っている場所が谷底になっており、山の斜面には赤や青の色とりどりの屋根と、白い壁を持つ人家がびっしりと密集していた。

 

正面からは、遠くまで続く谷と山々が見渡せ、とうに廃園となったある遊園地の観覧車が、かつては小さく見えていたものだ。

 

今思い返すと、とても不思議な風景だった。

 

私は物心ついた頃からずっと、この風景を見て育ってきた。

 

 

 

家の近くには小学校があり、背の高い木々に囲まれて、こんもりした緑の間から古びた校舎がにゅっと顔を覗かせていた。

 

夏の夕暮れになると、小学校からは太鼓を練習する音が聞こえてきた。

 

小学校と林の上の空が金色に染まるころ、私はバルコニーに出る敷居に腰かけ、祭りの音頭と単調な太鼓の音にじっと聞き入るのが好きだった。

 

哀愁を帯びた短調の歌声と、子供が叩く不揃いな太鼓の音が、オレンジ色に浮かぶ山の稜線を残して、あたりがすっかり暗くなるまで延々と続くのだ。

 

そのころにはミンミン蝉の鳴き声も、クマゼミのしゃあしゃあいう鳴き声にかわっている。

 

私は兄弟もなく、娯楽も大して与えられてはいなかったが、一人でぼんやりバルコニーからの景色を見ているだけで、小さい頃は満ち足りていた。

 

誰とも話していない時であっても、まわりを取り巻く世界が常に私に語りかけていたのだ。

(つづく)