救難信号
困った事になった。
かねてから手を焼いていた不眠が一向に治らないどころか、このところ悪化の一途を辿っている。
処方されていたた薬は、一回一錠から2錠に増やしてもらったが、とうとう効き目がなくなってきた。
決まって早朝に目が覚め、しばらく眠気が来るのを待ってもう一眠りし、目覚めると昼近くなっている。
意識がある間、なんとも言いようのない不快感に苛まれ、何をするにも意欲が湧いてこない。
頭の中がざわつき、抽象的な哲学書など読むどころではない。
些細なしくじりから始まった停滞が、何十倍にも増幅して、私のすることなすこと、いっさいの手をとめている。
今日は気晴らしに江ノ島に出かけてきた。
海辺をぶらぶら歩いてきたら多少気は晴れたが、それでも頭のざわつきは止まない。
二十三年の人生で停滞していた時期というのはたしかにあったし、それは下手すれば今よりも辛く、抜け出るのに五年の歳月を要した。
10代の閉塞感というのは多かれ少なかれ誰もが経験するが、それは多くの場合、等身大の自分を肯定し、自分自身との付き合い方を学んでいくことで、自然に抜け出せるものだ。
だが、今回は自分の外部に原因があり、それも複数の要素が連関していて、自分一人の力ではどうにも抜け出せそうにない。
私の焦燥感と不安に苛まれた様子を見て、離れていった人もいる。
私は今まで自分の強さを信じてきたし、よく生きようとする努力を放棄して、ある時点から怠惰に日を明かすようになった仲間たちを見下したこともあった。
だが、人がかくも簡単に無気力に落ち込んでしまうとは思ってもみなかった。
私ははじめて、一人の人間の弱さを思い知った。
どうにかして、ここから抜け出したい。
深い霧の中に閉ざされた中、返ってくるあてのない救難信号を、虚空に向かって発し続けている。