勤勉すぎてはいけない 〜逃避と怠惰の美学〜

一体いつから本を読むのがつまらなくなったのだろうか。

 

そう、大学に入ってしばらく経ったた時のこと。哲学科の同期や先輩が、難解な書物を造作もなく読み、それらしい議論をしているのを聞いて、18の僕は焦りを覚えた。

ニーチェにかぶれて哲学科(それもよりによってミッション系の大学の!)に入った僕は、早々にして軽い挫折感を味わった。

小学生の頃からドストエフスキーなど読み、高校でゲーテに心酔し、『ツァラトストラかく語りき』を興奮とともに読破した僕は、ひょっとすればこの道で大成するのでは…という淡い期待をもって入学式を迎えた。

ブラームスの「大学祝典序曲」が朗々と鳴り響く式の最中、学を修めんとする意欲に燃えた僕は、友人など作らず四年間ひたすら勉学に励もう!そしてゆくゆくは院に進んで、哲学の研究者になるんだ!!という青年らしい—有り体にいって青臭い—決意を抱いていた。

ところが入ってすぐに、自分がいかに下らないことを考えていたか思い知らされた。

ここには、僕が足元にも及ばない人たちがいる。

優秀な同期のみならず、まさしく天才と呼ぶにふさわしい先輩と出会い、神への畏怖に近い敬意を覚えた。

 

僕はこの大学の学科にもう6年もいるが、彼を超える人物を未だかつて見たことがない。語学力、知識量、思考の体力、どれをとってもその先輩を抜きん出るものはいなかった。

 

彼は専門外のことも熟知しており、どんな発表や議論に対しても的確なコメントができた。時折禅の公案めいた謎をふっかけてきては、大いに僕を困らせた。

こんな化け物のような知性を前にすれば、学問を人を出し抜くのに使おうなどという希望は、あまりにも浅ましく思えてくる。

 

それからだ。本を読むことを苦痛に思うようになったのは。

 

高等教育を受ける以上、少しでも自分の能力を高めなくては…という思いや、周囲を見て感じた焦りから、哲学書はもちろんのこと、古典と呼ばれるものは分野を問わず積極的に読むよう心がけたし、土日も大学に通ってドイツ語の復習に時間を割いた。

もちろんこの選択は正しかったと思う。だが今まで好きでしていた読書が半ば義務となってしまい、砂を噛むような思いで哲学書を読んでいる自分に気づいたとき、少し悲しさを覚えた。

 

今でもこれは続いている。院生の僕にとって本を読むことは当然仕事の一部なのだが、発表のために読まなければならない文献は遅々として進まない反面、気晴らしに専門外の哲学書社会学の本などを読むと捗ることがある。もし僕が他の学問を専攻していたり、社会人をやっていたりしたら、専攻のギリシア哲学関連の本を読むのも捗っていたかもしれない。

好きなことを仕事にしてはいけないという意見は、なにがしかの真理を含んでいるのではないかと思った。

 

だが、こうした経験を裏返せば、仕事をするにあたっての知恵が浮かんでくるのではないか。

 

仕事をする時は、なるべく「やっている感」を出さないこと。

人と比べようとしないこと。

 

むかしネットに転がっていた雑文で知った知見なので、真偽は定かでないが、「やろう!」と意気込むとき、取り掛かろうとしていることがあまり気の進まないタスクだと、かえって効率が下がるそうだ。

 

思えば気張って片付けようとした嫌な仕事が早く片付いたためしは一度もない。

 

とはいえ、生きていればやりたくない仕事にも多かれ少なかれ出くわすし、普段好きなことでもある時には嫌いになることがある。

そういう時こそ僕はカフェに篭って、好きな音楽を聴いたりパイプを吹かしたりしながら、騙し騙しタスクを進めていく。ときどき手を止めて、好きな小説やWebメディアの記事を読むこともある。

 

誰しも試験勉強の途中でゲームにはまった経験や、引越し準備の最中に漫画を読み出す経験は多かれ少なかれあるだろう。あなたが経験的に知っている通り、やはり僕も小さな逃避のつもりで読み始めた小説が止まらなくなって、気づけば一時間も没頭していることがある。

 

でも、そうして気の済むまで小説を読み終えたとき、僕ははじめて目の前のタスクに集中して取り掛かることができるようになる。眼球が活字を追うのに慣れ、もともと備わっていた速読の素質が目覚めたとき、小説を読んでいたのと同じ速さで本来のタスクに取り掛かるのだ。

そんなとき僕は、今まで小説を読みふけっていたのは、いわばそのための暖機運転だったのではないかと考える。

 

 

 

高等教育機関はかつて寄り道をするところだった。学業が本分などというのは建前で、あるものは演劇にはまり、あるものは学生運動に明け暮れ、徹夜麻雀に入れ込んで講義に出なくなる学生はどの大学でも「あるある」な存在だったと聞く。わが哲学科は、世の多くの大学がすっかりお上の言いなりとなり、出席管理システムを導入するなどといった愚劣きわまりない策を挙行する今日にあっても、実に一学年の三分の一にも及ぶ数の、上記に類する事由で留年する学生たちをせっせと輩出している。

 

だが、彼らがただ青春を空費しただけかというとそんなことはなく、あとを辿っていけば映画監督や研究者、プロの競技家、実業家、その他多くの業界の人士として活躍しているのを目の当たりにするだろう。

 

彼らは来るべき時に備えて、エンジンを暖めていたのだ。

もしその尊い準備期間に、社会が要求するようなことを真面目にこなしていたら、人より長い学生時代を経た後の飛躍は訪れただろうか。

 

勤勉すぎてはいけない。もしあなたが気の進まないことをしているなら、一度手を止めてなにか好きなことをしてみるべきだ。

 

人と比べたり、仕事が進まないことを気に病むことはないのだ。その好きなことは何ら社会の役に立つものではないかもしれないが、何かに没頭する享楽を思い出させてくれるだろう。本来逃避して悪いことなどないし、怠惰は神が人間に与え給うたこの上ない美徳である。この偉大なる美徳あってこそ、われわれは文明を発展させてきたではないか。

余計な義務感や人と比べることさえ取り払えば、引越し準備の途中で漫画を読むことと仕事をすることは少しも違わないのだとあなたも気がつくはずだ。