今年も残すところ一月しかない。

 

それまでの年がそうであったように、2018年は目まぐるしく過ぎていき、ついに12月がやってきた。

 

二月までは院試の対策に追われ、三月は謝恩会の幹事の仕事に忙殺され、四月は肝炎を患って入院し、その後は夜10時まで研究室に籠る毎日だった。

 

とは言っても、暇を見つけてはときどき映画を観たり美術館に足をんだりしていたので、かろうじて生活を楽しむゆとりは残されている。

 

また幸いなことに、僕にはある大切な友人がいて、その人と語らう時間が院生生活を孤独から遠ざけているのだ。

 

 

 

ぼくは夏から今までブログを更新しなかった。

 

どういうわけか、書きたいという衝動があまり起こらない。

 

いや、本当は書きたいものは沢山あるのだ。

 

観た映画のレビューや小説の感想、哲学の話、それらのまとめ等々。

 

 

 

そういったものではなく、一人暮らしの部屋で独り言を呟くように、僕が思っていること、心に浮かんだことを、こうして文章にしてみようという気持ちがあまり湧かないのだ。

 

八月から時間の進み方が早くなり、経験することの濃密さは薄れ、毎日が同じことの連続になりつつある。

 

僕は講義の予習で手を抜くことを覚えた。

 

机に向かって学ぶことも大切だが、映画や美術を観ること、趣味のいい服を選んで着飾ること、ワインを飲んで人と語らうことの方が大切だ。

 

ぼくらのような院生という人種は生活を疎かにしがちだが、生きていれば腹も減るし遊びたくなる。つまりは一個の動物なのだ。

 

昔の学生のように、昼飯代を浮かせて本を買うなんて真似はすべきではない。

 

 

 

今の生活はそこそこ楽しい。少し前まで書くことが救済になるような感じがしたが、今はそういったことは自分にとって必要でないのかもしれない。

 

書を捨てて街に出たい。僕はもっと自分の足と目を使って、この世界という大きな書物を紐解きたいのだ。

 

学識も名誉も投げ打って、メフィストフェーレスとともに諸国を遍歴したファウストのように。