都市の孤独
外は雨。あと一週間もいられないこの家の屋根を、ぱらぱらと雨粒が打ち付ける。
眠らなければいけないと分かっていながら、机に向かってパソコンを開いている。
昨日と今日(とはいっても先ほど日付が変わったが)、京都から来た大切な客人と、東京の街を一緒に歩いていた。
初日の東京は狂ったように蒸し暑く、物見遊山には全くもって適さない日だった。
そのためもっぱらカフェで休んでいる時間の方が長かった。
「孤独と寂しさは違う」あるとき、そんな話になった。
私は少し考えて、納得できるような心持ちがした。
それはサルトルが『存在と無』の中で、不安と恐怖の違いについて書いているのを読んだ時のような心持ちだった。
彼女も私も、場所は違えど孤独な都市生活者である。
私は東京で一人暮らしを始めてから、孤独を実感する機会が増えたように思える。
いくら大学のある街に住んでいるとはいえ、越してきたばかりのころ、夜の街を歩くと異国の都市にいるような感覚を覚えた。今でもその感覚は少し残っている。
深夜に腹が減ってふらっと近くの中華屋に入り、煙草に火をつけて料理を待っていると、まるでひとり旅をしている時のような孤独を感じる。
しかし同時に、自由になれた気もした。
深夜に飯を食いに出ても何ら咎められず、体に悪いものを食って、自分で働いて稼いだ金で勘定を済まし、一服して帰る。私の望むままに。
この孤独は、自由の裏返しだと私は気がついた。
とても心地のよい孤独だ。
しかし、都会に住んでみてもっと感じるようになったのは、寂しさだ。
私は一人暮らしをはじめた最初の冬、ひどい窮乏状態に陥ってしまい、人と会う金すら惜しくて家に引きこもっていることが多かった。
人との繋がりが欲しい。誰かと会って話がしたい。
猛烈にそう思う瞬間があった。
もっともその時は彼女がいたから、手軽に寂しさを紛らそうと思えばできたのだが、それをしないだけの事情もあった。
まあそれは時が満ちたら書こうかと思う。
さて、寂しさを感じる瞬間は当然今でもあるが、都会は金さえあれば簡単に紛らしてくれるものが多くある。
それに友人だって増えたから、私はいつだって会いに行ける。
今の方が幸せだ。
ところで先ほどの続きだが、彼女とは孤独と寂しさのどちらがいいかという話になった。
孤独はいいものだが、寂しさには耐えられない、という方向でまとまったように思う。
人は自由であるがゆえに孤独だが、それでも人との繋がりを求めている。
これは手垢のついた言葉で、あまり真顔で言うほどのことでもないだろうが、二年間かけて身をもって学んだ真理を、私は今自覚したように思える。
この続きを書きたいが、眠気が勝ってしまった。
だがきっとまた更新するだろう。