煙草というファルマコン

むかし7号館の下に喫煙所があって、大抵そこに学科の先輩や同期がいた。研究室から近かったので、皆よく立ち寄ったものだ。思えば私の学生生活と煙草は切っても切り離せない。哲学書を紐解くときのお供は煙草だったし、パイプを教えてくれたのは学科の先輩だ…

救難信号

困った事になった。 かねてから手を焼いていた不眠が一向に治らないどころか、このところ悪化の一途を辿っている。 処方されていたた薬は、一回一錠から2錠に増やしてもらったが、とうとう効き目がなくなってきた。 決まって早朝に目が覚め、しばらく眠気が…

救難信号

困った事になった。 かねてから手を焼いていた不眠が一向に治らないどころか、このところ悪化の一途を辿っている。 処方されていたた薬は、一回一錠から2錠に増やしてもらったが、とうとう効き目がなくなってきた。 決まって早朝に目が覚め、しばらく眠気が…

読書の記録

2018年があと数時間で終わる。 自分のことばかりしみじみ語っても仕方ないので、今年読んだ本のかんたんなまとめをしてみたいと思う。 詳しい批評はまた別の機会に回すとし、ここでは簡単に触れるにとどめる。 選りすぐりの三つを以下に挙げよう。 ・リチャ…

今年も残すところ一月しかない。 それまでの年がそうであったように、2018年は目まぐるしく過ぎていき、ついに12月がやってきた。 二月までは院試の対策に追われ、三月は謝恩会の幹事の仕事に忙殺され、四月は肝炎を患って入院し、その後は夜10時まで研究…

パイプ呑みの男

時刻は9時を回った。 この時間に四ツ谷で開いているカフェは限られてくる。 夜遅くにカフェで作業したくなったときは、決まって少し歩いて、四谷三丁目のコーヒーチェーンに入る。 ひろびろとした喫煙席があって、コーヒーがとても安いのだ。 なにより23時…

SF神学

私が好きな映画の一つに、アンドレイ・タルコフスキーの「惑星ソラリス」がある。私の周囲の界隈でも、映画好きならたいてい知っている作品だ。 最近、ハヤカワ文庫から出ているスタニスワフ・レムの原作を読み終えた。『ソラリス』(旧邦題『ソラリスの陽の…

肝臓をやられた私は、人間がいかにして利他的になれるのか考えることにした。

もう明日から学校が始まる。忙しい研究の毎日が。 しかし、僕は家に籠ってベッドに寝そべるだけで、明日からの授業の準備をするわけでもなく、とにかく何一つ生産的なことをしていない。 それは昨日の朝のことだった。 早朝から枕元に置いたiPhoneが震えてい…

春と海

春休みが始まってから、目が回るほど忙しい毎日が続いていた。 2月の前半は院試の勉強で毎日図書館に篭っていたし、院試が終わってからは大学で任されている謝恩会だの卒業パーティーだのの幹事で、日々カフェに篭ってパソコンを開いていた。 本当はゆっくり…

美しい自殺

ゲーテは恋多き詩人だった。 『若きウェルテルの悩み』が、彼自身の体験をもとに書かれたことは、あまりにも有名だ。 彼はヴェッツラーで法官の見習いをしていたころ、舞踏会でシャルロッテ=ブッフと出会い、一目で恋に落ちる。 しかし彼女は、その時既に、…

永遠の夏

夏の終わりを感じられないまま、冬が来てしまった。 この家に越して来てから、もう三ヶ月が経った。 あたりが寒くなるのと同じくらい早く、ぼくの青春そのものだった四ツ谷の家の記憶は、だんだんと遠ざかっていく。 先月むかし住んでいた家の近くに用事があ…

なぜ私は街へ出るのか

実家に戻ってから一ヶ月が経過した。 前の家を出る前は、とても悲しかった。 でも、不思議と今は何も感じない。 ここでの日常はというと、土日は働き、平日は大学の図書館に勉強しに行くついでに、渋谷や新宿に寄る生活が続いている。 夜は誰かしらと飲んで…

ノスタルジア

私は20世紀も終わりのころ、東急田園都市線沿いのニュータウンに生まれた。 川崎のはずれにある、急行のとまらない小さな町だ。 私の住んでいた家はマンションの最上階で、広いルーフバルコニーが付いていた。 ちょうど家が建っている場所が谷底になっており…

都市の孤独

外は雨。あと一週間もいられないこの家の屋根を、ぱらぱらと雨粒が打ち付ける。 眠らなければいけないと分かっていながら、机に向かってパソコンを開いている。 昨日と今日(とはいっても先ほど日付が変わったが)、京都から来た大切な客人と、東京の街を一…

愛すべき生活

四ツ谷に越してもう一年と半年が経つ。 この家での暮らしにはかなり満足している。 まず電車を使わずに大学に通える。朝の通勤ラッシュ地獄を味わう必要がないのは本当によいことで、これがないと1日のストレスが3割は減る。 実家から通っていたときは、毎…

エントロピーの増大、生の苦しみ

一体いつからこんなに生きることが辛くなったのだろうか。 思えば10歳のときから、生きることはとても苦しいことだった。 当時ぼくは、神奈川県でも有数のミッション系中学校に受かるために、母に連れられて進学塾に通い始めていた。もともと私立の小学校に…